「社会課題をエンターテイメントする」 ことを理念とし、笑いの力で日々新潟を盛り上げている新潟お笑い集団NAMARA。代表の江口歩さんには、以前こんな形で取材をさせていただきました。
そして、この記事を見たNAMARA所属芸人、出来心のオダニハジメさんから「ある方を取材してほしい」との依頼が。その方が、NAMARAの主要メンバーで現在芸能部門のチーフも務めている森下英矢さん。
森下 英矢 Hideya Morishita
1981年新潟市生まれ。中越高校中退後、お笑い集団NAMARAのメンバーとして立ち上げ時から活動。現在はピン芸人として、アルビレックス新潟のスタジアムMCや新潟プロレスリングアナウンサー、ラジオパーソナリティー、講談など多方面で活躍している。座右の銘は「偉くなくとも正しく生きる」。Twitter→@morigemax1
「お喋りが大好きな森下さんの誕生日プレゼントとしてセナポンの取材を贈りたい」という、なんともユニークでかわいいご依頼をいただきました。ということで、サプライズでお伺いすることに!森下さんの過去やお笑い芸人になったきっかけ、今後の展望などについて、たっぷりお話を伺ってきました。
森下さん、いつも色んなところで拝見していたので、お会いできるの大変楽しみにしていました!今日はよろしくお願いいたします!
わ~!誕生日ケーキが来ると思ったらセナポンさんが来た!(笑) 予想外だったなー!
でも喋ることが何より好きな僕にとって最高の贈り物ですね。よろしくお願いしまーす!
今回はNAMARAの応接室にて取材を行わせていただきました。
INDEX
医者の両親のもと、勉強とサッカーに明け暮れる少年期
まずは森下さんご自身のことをお聞かせください!
出身校は女池小学校→長岡東中学校→中越高校なんですね。
そうですね。小学校から中学校にあがるときに親の転勤の関係で引っ越しをして、女池から長岡に移り住みました。
小さい頃はどんな感じのお子さんだったのですか?
勉強が結構できた子でしたね。実は、両親ともに医者で、勉強することが当たり前の環境だったんです。小学校のころから、休みの日でも6時間くらい勉強してたな。
え~っ!?小学校のときも!?
そう、そこからずっと勉強はできて、実は高校も首席で入学したんです。新入生代表の挨拶をしましたからね。でも調子こいてそのあと全く勉強しなくなっちゃったんですけど(笑)
そんな森下さんがお笑いに目覚めたきっかけはなんなんでしょう?小さいころから好きだったんですか?
普通にバラエティーは好きでしたが、中学校のころはサッカー選手になりたかった。小5~中3までは結構ガチでやっていたので。でも、結構終わり方が悪かったんです(笑)
顧問の先生と折り合いが悪く、最終的にある誤解をされ、最後の大会では背番号をもらうことが出来なかったそう。3年生の自分を差し置いて試合に出ていく下級生を横目に、非常に悔しい思いをしたと言います。
当時の僕の態度が悪かったっていうのもあったんですけど、ちょっとトラウマになっちゃって、「もうサッカーいいや……」って、サッカー選手の夢は諦めました。
なるほど~。では高校ではサッカー部には入らず?
そうですね。だから高校入ってすぐのころはやることなくて暇だったんで、ゲーセン通って、ひたすらストⅡ(ストリートファイター Ⅱ)やってました。
大会とかでも好成績を残したりしたんですよ。長岡のザンギエフと言ったら僕でしたから! (笑)
(笑)
ただ、ある日いつものように対戦をしてたら、急に「テメェなに調子こいてんだ!」って本物のザンギエフみたいな高校生が現れて頭突きくらったっていう事件があって (笑)
そこでなんか「俺、このままじゃだめだ……」って目覚めたんですよ。
ザンギエフからの頭突きで目覚めたんですね (笑)
はい、何か新しいことを始めなきゃと思いました。
そして、そのときにちょうど新潟市で「第1回新潟素人お笑いコンテスト」というものをやるらしい、更には出場者を募集しているらしいってことを知ったんです。
「暇だし、ちょっと出てみるか」という感じで出場を決めましたね。
「何か新しいことをしなければ」と思っていたタイミングでちょうど出会ったから始めた“お笑い”。大会も暇つぶし程度に参加した自分が、まさかこれを生涯の仕事するなんて思ってもみなかったと言います。
大会で最下位を取ったからこそ続けたくなった“お笑い”
「第1回新潟素人お笑いコンテスト」というものはどういう大会だったんですか?
ゲストは爆笑問題、お客さんも1400人の超満員の中行われた大規模な大会でした。 立ち上げスタッフにはうちの代表(江口さん)もいましたね。
当時僕は高校一年生。同級生と一緒に漫才コンビとして出場しました。
ちなみに、当日会場に行ったら当時同じ高校の同級生だった高橋なんぐと中静祐介が「ヤングキャベツ」って名前で出場していてびっくりしたんですけど (笑)
ヤングキャベツさんってこのときから同じコンビ名なんだ……!
大会の結果はどうだったんですか?
僕たちはなんと、全出場者17組中……17位でした!!
ええ~っ! (笑) 最下位!
そう (笑) 笑っちゃいますよね。
というのも僕、先ほど言った通りちょっと家が厳しめだったので、当時ブームだったボキャブラとかの番組が見れなかったんです。だからちょっと周りとネタがズレてたみたいですね。
「よろしくお願いしま~す!」って登場しながらつまづいてセンターマイクに頭をぶつけるような、一昔前のベタベタのお笑いをやっちゃってたので(笑)
でもそのままお笑いは続ける決意をしたのですよね。「俺、向いてないな~」って気持ちにはならなかったんですか?
いや、そういう風には思わなかったですね。すごく新鮮で、楽しかったです。最下位ってことは知らないことが多いじゃないですか。周りから学ぶことしかないから、ワクワクの気持ちでいっぱいでした。
この大会に参加したのが高校1年生の冬、その次の春、「新潟お笑い集団NAMARA」の立ち上げが決まります。そんな中、森下さんを含めたコンテスト参加者の有志たちがNAMARAに加入。様々な仲間との出会いもあり、更にお笑いにのめり込んだそう。
その後、高校を中退する決意をされますよね。それはどのような理由からですか?
はい、高校2年の冬ですかね。お笑いを始めてちょうど1年経たないくらいのときに中退を決めました。
理由は、中途半端な学歴が一番面白くないって思ったからですね。大学行くからにはレベルの高い大学に行きたい。でもこの頃は勉強なんて全くできなくなっていましたから、それができないのなら中退しようってことで、高校を辞めました。
先輩芸人なし。自分たちで切り開いていったお笑いのカタチ
そこからもうお笑い中心の生活をしていくわけですよね。
はい、そうです。ちなみに、中退のタイミングで家も出てます。うちの家、学生以外は実家にいちゃいけないってルールがあったので(笑)
なので長岡から新潟市に移り住んで、当時の相方の実家に住まわしてもらって、バイトしながら生活をしていました。
実家に! 相方さん優しい~!
うん、良いヤツですよね。でもクズ野郎だったんですが (笑)
そこからNAMARA所属の芸人として活動を始めていくことになりますよね。
以前江口さんにインタビューさせていただいたとき、「行政、学校、施設などからの依頼……どんな仕事も断らなかった」とおっしゃっていました。自分がやりたいお笑いとは違うことをやらざるを得なかった状況もあったと思いますが、抵抗感はなかったですか?
どうですかねえ~……。先輩芸人もいなかったし、どこまでがお笑いの仕事かっていうのが分からなかったので、 あんまり「お笑い芸人たるものこういうものだ!」って感じはありませんでしたね。
そうだったんですね。
なんだか、若手芸人さんって「俺がやりたい笑いを表現させろ!」ってトガっている人が多いってイメージがあったので。きっと行政とかの案件だとできない表現なんかも多いじゃないですか。
いや、トガってはいましたよ!ここでは言えないような言葉を言って、出禁になったこともありますし (笑) トラブルも起こしながら、色んな仕事をやってきましたね。
現在森下さんはピン芸人としての活動はもちろん、アルビレックス新潟のスタジオMC、新潟プロレスリングアナウンサー、ラジオパーソナリティー、講談、司会や討論会などのコーディネーターなど、多方面でご活躍されています。
現在やっているお仕事はサッカー、競馬、プロレス、ゲーム、政治……僕の趣味に結び付いたものばっかり。本当に楽しいです。
へ~!これは森下さんが自分の好きを発信をしていったから、仕事に繋がったという感じなんですか?
なんなんだろうなあ~!
ただ、新潟で漠然と「こういう面白いことやりたいんだけど、どこに頼んだらいいのかな?」ってときに、とりあえずNAMARAに頼んでみようかなって人が割といるんですよね。
それでこちらがアイデアを練るとき、自然と自分の好きなこと・できることと繋げちゃうのかもしれない。
「好き」が仕事になったのも、自分自身を自由に表現できるNAMARAという土壌があったからこそ。確かに、NAMARA所属の芸人さんたちは個々で様々な自分の「好き」を表現しているように思います。
僕たちが生き残ることが世の中の「余裕」の象徴
森下さんが今後力を入れていきたい活動ってあったりするんですか?
うーん……すごく大それたことを言ってしまうかもしれないんですが、やっぱり「未来を良くしたい」です。
この言葉、どこかのタイミングまでは自己顕示欲的な意味で言っていた部分があったんですが、今はもう、子どもたちに申し訳なさしかなくて……。これはえげつないもの残してるな、俺らって思っちゃうんです。
なるほど……。具体的にどういう未来にしていきたいとか、そのために何をしていきたいとかっていうのはありますか?ちょっと難しい質問ですが。
うーん。本当に言えば少子高齢化を解消し、経済を良くし、みたいな話なんですけど (笑) でもそこは僕らがメインでやるべきところじゃないから……。
僕らとして一番やるべきなのは「みんなの心に余裕を作る」ってことじゃないかなと思います。特に若者に余裕を作ってあげたい。
今の若者って本当にカツカツでしょ?賃金も低いし、奨学金もあったりするし、年金ももらえるか分からないし……。今でこれなら、僕の子どもの世代なんてどうなっちゃうんだ!?と思うわけですよ。
それこそ、僕の息子は発達障害がありますし、こういうハンデのある人たちって社会に余裕がないとカバーされなくなってしまう。支援が必要な人に行き届かない、人に優しくない世界は良くないなと思います。
確かに、本当にそうですよね。人に優しくするためにも自分に余裕がなきゃいけないなと思います。
そうですね。
じゃあ僕らみたいなお笑い芸人に何ができるかって言うと、まずはしっかり生き残ること。そしてその姿を見せること。僕らみたいな、コロナ禍で真っ先に仕事がなくなるような、いなくても社会は回る存在のものが生き残れているっていうことが世の中の「余裕の象徴」だと思うんです。
だから僕らはしっかりお笑いで生き抜いて、笑いで皆さんの心にも余裕を届ける、これが目指すものなのかなと思います。
体の免疫力を上げ、健康でいるには「よく食べて、よく寝て、よく動いて、よく笑うこと」 この4つが不可欠だと言います。 という意味で、エンタメ業は人々が健康に、豊かに暮らしていくためにはとてつもなく重要な役割を担っている。 そう考えると、エンタメ業こそ、世の中が辛いときに一番排除してはならない仕事なのかもしれません。
だから、セナポンさんも生き残るだけでいいんです。 僕らが生き残っているっていうことが社会の役に立っているんですよ!!
うわあ……なんだかめちゃくちゃ励まされました……!なんだかセナポンめっちゃ頑張れそうな気がします!
その意気ですよ! セナポンの背中、押しちゃいましたね(笑)
世界を変えるとか、日本を変えるとかのレベルじゃなくても、ほんのちょっぴりでも良いものを残したい。そういう気持ちでこれからも活動を続けていければいいなと思います。
まとめ
という訳で今回は新潟のお笑い集団NAMARA所属の森下英矢さんにお話を伺いました。
文面で伝わったか分からないですが、森下さんのトークが非常に面白く、本当に笑いの絶えない楽しい取材だったんです。文字起こししながら何度もニヤニヤしてしまいました(笑)
しかし最後には深くうなずきながら聞き入ってしまうような素晴らしいお話も聞かせて下さり、逆にセナポンの方が背中をポンっと押される事態に……。
実はセナポンも立ち上げた背景には苦しいものがあったりしたので(詳しくはこちらの誕生秘話を読んでね)、「未来を良くしたい」という森下さんの言葉にすごく共感しつつ、「これから新潟をもっと良くしていってくれるんだろうな」という確かな信頼と頼もしさを感じました。
セナポンにとっても、とても学びの深い取材でした。森下さん、お忙しい中お話を聞かせて下さり誠にありがとうございました~!
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